仕事ができることと、教えることとの違い
「仕事や勉強ができるけど、それを他人に教えることができない人」、私の身の回りにもたくさんいました。仕事ができるからこそ、出来ない人の苦労がわからないということはよくあります。「いつ俺」さんの記事を見て、自分の今までの人生で学んだこの点についての考え、自分たちが行ってきたことの話です。
なぜ教えることができないのか
仕事が出来ることと教えることでは求められているスキルが全然違います。仕事ができることについては、周辺知識の習得や自身の業務効率化などを図ることで達成可能です。仕事ができるようになるには(他人の協力が必要なことはあるものの)自身のやり方を変えることが第一です。
一方で他人に教えるためには、自己スキルよりも教える相手のことの理解が最も重要です。相手のスキル、知識に対する理解度などを把握した上で業務量を調整したり、相手からの質問への応対をする必要があります。
仕事が出来るのに教えることができない人は、相手への理解が足りないことがほとんどです。理解するためには相手とのコミュニケーションが必要です。もちろん教えられる側にも、教える人に対する理解が必要になりますが。
どうやったら教えられる人になれるのか
コミュニケーションをする環境づくり
相手を教えるためには、相手を理解することが大切です。そして相手への理解を図るには、何よりコミュニケーションを取ることです。コミュニケーションを取ることで、仕事上で必要な色々な点を確認することができますし、話すことで頭の整理を行うこともできます。
コミュニケーションを取るには環境作りが重要。「他愛もない雑談」は話をしやすい環境に持っていくことが可能なので、コミュニケーションを生むためにはこういった雑談も必要なことであると私は考えています。
以下引用より、本当にこの通りですよね。
「後輩とのコミュニケーション」
これが先輩には決定的にかけていたように思います。
後輩の話をしっかり聞いて、何をしたいと思っていて、どこで詰まっていて、何がわからないのか。
その上で、適切な方向に導いていかなくてはいけなかった。
相手の分析と理解
コミュニケーションがうまく取れるようになったところで、次は教える相手の分析を行います。どの程度知識があるのか、タスクをどの程度のスピードでこなすことができるかといった知識、スキル面だけでなく、コミュニケーションを取るべきタイミングや相手のSOSの出し方などを把握しておくとよいと思います。人によってはSOSを出しづらく、ずっと黙ってしまっている人もいるので、その場合はうまく困っていることを言い出しやすいよう、話を誘導してあげることが大切です。
「教える相手は自分とは違う」ということを自覚し、相手への理解を深めることで、どのように仕事などを割り振るかを判断できるようになるはずです。自分と同じペースで同じ分だけ仕事を振っても相手ができるとは限りません。特に各者の知識がベースになる研究の分野であればなおさらですね。
また、相手のことを理解するだけでなく、相手に自分のことを理解してもらうことも大事です。教える相手に対して自分の求めているところや熱意などを伝えておくといいんじゃないでしょうか。自分の思いを押しつけすぎると相手が引くので要注意ですが。
教える側の度量と相手への配慮
先ほども書きましたが「教える相手は自分とは違う」ことを念頭に入れるのが大事。ただし、どうしても「なぜあいつはここまでしかできないのか」などとイライラしたり、相手に批判をすることも起こり得ます。そのため、教える側の度量と相手への配慮は、教える側には欠かせないものになってきます。よい指導者は相手をむやみに批判をすることはないですし、厳しい指摘、追求をしても後からフォローをしてくれるものです。
「指摘」と「批判」を間違えないこと
この先輩は批判をすることが多かったとのことです。批判は間違えると相手の人格を否定する行為になります。上司(先輩)から部下(後輩)へ指摘をすることは教える上で大事ですが、それが批判になってしまうと相手を傷つけることにしかなりません。指摘の際には「批判」にならないように使う言葉を考えることで、相手への配慮を行うことが大切です。
まとめ
相手に教える場合には、以下のプロセスを踏むことで最悪のケースにはならないと思っています。急に自己を変えることは難しいかもしれませんが、「どのようにすれば相手にうまく指導できるか」を考えていけば、実践につなげられるのじゃないかな。私も道半ばなところもありますが、相手にうまく仕事を教えられるようになりたいなと常々思っています(その前に業務知識が足りていないのですが・・・・・・)
- 相手とコミュニケーションを取りやすい環境を構築する
- 相互理解を深め、相手のことを分析する
- イライラしない、度量の大きい人になる
- 「指摘」はよいが、「批判」はNG