たかみめも

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劇場版 「聲の形(こえのかたち)」の上映のあり方と、全ての人への配慮の難しさ

劇場版「聲の形」が公開されてもうすぐ1週間。試写会での評判、実際に見に行った方の感想としてもいい意見をよく見かけます。

私もこの作品を見に行こうかなぁ、あっでもまだ「君の名は」すら見てないしどれから見に行こうかなぁなどと考えていたのですが、「字幕上映」に関するふとしたツイートを見かけたので、ちょっと気になったことを書くことにしました。

※この記事では聴覚を含めたハンディキャップを持っている方を「障がい者」と記載致します

※原作、映画本編に関する内容はありません

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多数派のためのエンターテイメント

「聲の形」では、耳が聞こえないヒロインの硝子を取り上げた作品のためか、聴覚障がい者の方へ配慮された「字幕上映」といったものも出てきました。劇場が色々な方をターゲットに向けた施策をなさっていることはいいことだよなぁと思ってみていたのですが、どうやら以下のようなご意見もあるようです。

 

 

こういった意見は大変重要です。「少数派のために字幕上映も用意しました」という形で聴覚障がい者に配慮されているようには見えていますが、障がいのない人に比べてまだまだ選択の余地が少ないこともあり、聴覚障がい者の方が障がいのない人と常に肩を並べて映画を見れるような状況ではなさそうです。あくまで映画は障がいのない多数派のためのエンターテイメントと言えるでしょう。

 

彼らに配慮された形はあるのか

そんな彼らに対して、私たちと常に同じように映画を楽しむ方法がないかと考えていたのですが、3D上映みたいな形で、『メガネをかけた人だけが字幕を見ることができる』ような仕組みや技術があると素敵なんだろうなぁと思いつつ、どうせアメリカだとこういう装置あるんだろうと思って調べてみたらありました。日本にもこういう字幕が自分だけに見えるマシーンが導入されるといいですよね。

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あらぬ方向に議論が拡散していく

 

こういう話になると、「じゃあ我々はどうするんだ」といった別の少数派からの射撃を受けることがよくあります。今回の場合、「ADHDには字幕があると辛いんですよ」といった別方面からの指摘です。これ以上の話になると、今度は少数派同士の撃ち合いに発展したり、「全ての少数派に配慮すべき」というべき論が展開されてしまい泥沼に陥ることが考えられます。こうなってしまうと、お互いに正論をぶつけ合う形になってしまい、誰のためにもならないような気がしてならないです。

 

今回のケースの場合、上映する劇場や配給会社も、施策や収益性などといった総合的な面から落としどころを考えていく形がよいなぁと思っています。先ほどのような「自分だけが字幕を見ることができる仕組み」や、字幕あり、なしの上映のバランスを変えるなどでしょうか。それとも「映画」自体の在り方を変えるなどでしょうか。

前段のようなべき論が語られるばかりで、こういう建設的な話が中々見かけない、拡散されないのは少し残念だよなぁと思いつつTwitterを眺めていました。

 

 

余談ですが、Twitterでちらっと見かけた「誰かのバリアフリーは誰かのバリア」という言葉は、「誰かのバリアフリーはオレにはバリア」というエゴめいた発言にも見えなくもないので、使う時には注意した方がいいかなと個人的には思っています。

 

全ての人へ配慮をすることは難しい

誰もが幸せになる環境を作ること、全ての人に配慮ができる環境を作ることは相当難しいものです。

個人的な意見とはなりますが、「誰もがみな幸せになれる」というのは極めて難しく、ほとんどの人がほぼ均等に幸せになる方法を模索することがベストではないかと常々思っています。今回の劇場版「聲の形」の上映にまつわる話も同様です。

こういった話は、「聲の形」のこの話題がひとしきり落ち着いた後も、別の作品で同様に話題になるんだろうなぁと思っています。それだけデリケートで、気に障りやすい話題でしょう。

 

映画を楽しみたい、コンテンツを楽しみたいと考えている全ての人に、均等にコンテンツが楽しめるそんな未来を待ち望みつつ、今回の話は締めとさせていただきましょう。