擬態し続ける腐女子と擬態を辞めたオタク
昨日放送されたねほりんぱほりんとナカイの窓を見ました。ねほりんぱほりんでは「腐女子」を取り上げ、ナカイの窓では「オタク」を取り上げていること、両方の番組に南海キャンディーズの山里さんが出ているというある種奇跡的なコラボを見れたなかなかレアな日だと感じたわけです。
両番組を見てて色々と言いたいことはあるのですが、ふたつの番組を見ていて一番感じたのが「オタクとして生きるために、擬態をすることって大切なんだよなぁ」というところでした。
擬態をし続けてる腐女子
ねほりんぱほりんに出ていた腐女子の方のほとんどは、自分の脳内では妄想を広げていたりはしているものの、基本的には擬態をして生活をしており、人によっては自分の旦那にまで腐女子であることを隠している人もいるようでした。特にいい感じに年を重ねている女性の方ほど、この気が強いと個人的には思っています。
そういえば、昔出会ったガッツリ腐ってる美人のお姉さまと池袋に遊びに行ったことがあったのですが、アニメイトなど各種ショップを出たら完全にそっち系のトークはシャットアウトして、普通のカフェなどで私がそういう(ホモ寄りの)話を振ろうものなら「TPOは考えなきゃ」と素敵な笑顔でご指摘を頂いたことを思い出しました。
今回はオープンな腐女子の方もいらっしゃいましたが、あくまでリップサービスでそこまでおおっぴらにはしていないだろう(少なくともあの場に出られる方であれば節度のある方ばかりだ)と思っています。その方の「腐女子を隠す腐女子は努力不足」という言葉もなかなかタフでしたが、個人的には隠さない腐女子程痛いものはないと経験上感じている*1ので、ある程度はわきまえていることでしょう(というかそうであってくれ頼む)
腐女子の旦那は多様性を受け入れる寛大な心が必要なんやで…… #ねほりんぱほりん
— たかみ@ (@9t_fox) 2018年1月10日
余談ですが、腐女子の旦那の方で「30までに腐女子を辞めてくれ」といった方や妻の行動がショックで離婚の危機みたいな感じになっている方もいらっしゃるようでしたが、基本的に20歳すぎた後のガチの趣味は覆せないので、諦めて受け入れることをオススメします。多様性は大切ですし、何より夫婦生活が円滑になります。
擬態をやめたオタク
ナカイの窓ではオタクのタレント、芸人の方がナカイさんや中里さんへオタクってこんな感じですよとアツく語っていました。そういえば、2000年台後半からオタクタレントって形で出る方が多くなりましたよね。
※ここで言うオタクという言葉はアニメやマンガ、ゲームを主軸としたオタクのことを指すことを明記しています(そうしないと山里さんの趣味などを考慮すると色々とブレるため)
思い出したかのようにナカイの窓見てますが、オタクから見ても一番面白いのが山里さんなのが本当に趣深いです #ナカイの窓
— たかみ@ (@9t_fox) 2018年1月10日
なぜ岩井さんをあそこに呼ばない #ナカイの窓
— たかみ@ (@9t_fox) 2018年1月10日
ナカイの窓の感想は上のツイート2つに尽きるので多くは語りません。そもそもドルオタとしてほんまもんのオタの中里さんがあの場にいて面白くないわけがありません。個人的にですが、オタク用語の幾分かは理解しているであろう山里さんがあの立ち位置にいるからこそ、あの番組がより面白いものになったわけです。
あとはハライチの岩井さんがロケで楽しそうにしている姿を見れたことは個人的に嬉しかったことと、松澤アナはやっぱりガチだったってところがハイライトでしょう。ジャパリパークの合唱?そんなのあったっけか……。
で、この番組を見ていて改めて感じたのは、2000年以降に起きたアニメに対する社会への寛容さ*2が徐々にこういう番組を放送できるようになるきっかけになったんだろうなということ、オタクということがいつしか差別的な視点以外で社会に認知されるようになったんだろうなということでした。
ただしこの部分が今回出ているタレントの方に現れたように擬態をしていない、ありのままのオタクという形で出てきているところに、先に見たねほりんぱほりんとの差を感じるばかりでした(もちろん彼ら、彼女らもオタクである自分を一部ビジネスとしてやっており、プライベートでは普通に生活しているでしょうが)
「腐女子を隠す腐女子は努力不足」とは言うけど、隠す技術と擬態は腐女子にとって必須スキルだと思うのよねぇ。 もちろん腐女子だけじゃなくてオタク全般の話だろうけども #ねほりんぱほりん
— たかみ@ (@9t_fox) 2018年1月10日
ありのままのオタクでいることは別に構わないのですが、その一方でオタクを隠す技術、擬態をする技術というのは日常生活の中では必要なスキルだったりします。普通に趣味嗜好が合わない人の前ではそういう話をしないものでしょ?そういうことです。
なので、はっちゃけるのは大変悪くはないですが、それこそTPOを考えなきゃ……と感じてしま`ったわけです*3。結構ナカイの窓はなかなかハードな内容でしたし、一般のオタクが「これでいいのか!」と勘違いすると何というかアレです。
オタクの地位と擬態の必要性
様々なメディアでもアニメ等の文化が多々取り入れられ、ねほりんぱほりんやナカイの窓のような特集が組まれることが増えることで「オタクの地位向上」みたいな話になってくるようにも思われるかもしれませんが、実際のところ地位なんて一切向上しているわけではなく、ただ「社会の一要素として認識された」だけに過ぎないわけです。
現時点でもオタクという表現に色眼鏡で見る方も多々いらっしゃいますし、あくまでレッテルの貼られ方が少し弱くなっているだけのように感じています。私だって会社では一切オタク的な話をせず、普通に過ごしています。家では土間うまるちゃんを30歳のオッサンにしたような何とも言えない感じですが。
だからこそオタクとしての自分を大切にしつつも、社会生活を送る上で最低限のスキルとして擬態をして生活が出来るようになっておくのは、私としてはとても大切なことではないかと思っています。それが、オタクに対して社会的に酷いレッテルが貼られないよう、ひとつの属性としての認知度を上げるためにも大切なんことだろうなぁなんてこの2つの番組を見て思ったわけです。